正藏院の作庭をした庭師は中央造園の後藤由松である。明治三十八(一九〇五)年秋田生まれ。二十二歳で春日造園に入る。その後、蛭田植物園にうつり、昭和十三年に米国で行われた万国博覧会では渡米して日本館の庭工事に携わっている。ネクタイそれにトレードマークの帽子、そして朝食のパンはそのときからのものだ。
昭和十五年に独立してから引退するまで作庭はもちろん剪定にしても現場に立つと背広を脱いで自ら職人の中に入って仕事をした。
今は閉園してしまった千葉の行川アイランド、国立自然教育園などをはじめ広いものから住宅の坪庭まで数多くの作庭を手掛けている。サウジアラビア王室から自国に庭工事の依頼があったが戦争のため実現しなかったこともある。

この九十翁引 退前の最後の仕事が當山中興開山五五〇年記念事業で行った、山門移築工事にともなう塀工事の真鶴石の石積み工事である。
江戸幕府編さんの『新編武蔵風土記稿』に「宝徳二(一四五〇)年僧都重仙が住職せし時」と記してあるのが史料にのこる當山に関する一番古い年号である。開創の年が不明なので、この年を中興開山としている。
来年、百翁の後藤由松はいまは現場に立つことはないが、弟子たちがその仕事を引き継いでいる。
戦災で焼け残った岩崎邸跡に前川國男、坂倉準三、吉村順三が共同設計した国際文化会館の庭を改修したのも後藤由松である。再開発計画があるが、戦後を代表する建築である建物と庭園の現地保存を実現させたい。
後藤由松の素朴な庭を維持することをはじめ元文部技官で文化財保護に携わってきた富田喜一が基本設計し棟梁三矢幸一が手がけた本堂と山門。太田博太郎の弟子の臼倉健之が設計した庫裡客殿(梅椿庵)、観音堂、善西坊本堂、そして海照山観蔵院東照寺合併八十年、弘法大師空海渡唐千二百年、恵果阿闍梨御遠忌千二百年記念事業とて建立する海照殿。

太平洋戦争の空襲によって焼け野原になった羽田から新たな文化を創世し後世に伝えていくのも當山の役割だと考えます。
旧東海道の美原通りから内川沿いに、江戸時代まで「駿河屋」という有名な旅館がありました。
そこを起点として、するがや通り、厳正寺、三輪厳島神社、浦守稲荷神社、新呑川の末広橋を渡り、大鳥居商店街に至り産業道路に出て正蔵院を過ぎ、羽田街道を通って羽田七曲がりを行くと弁天橋に至りその先が要嶋.。現在の東京国際空港(羽田空港)です。この約五キロの道が羽田道(江戸道)と呼ばれています。
正藏院から羽田七曲がりの最初の角を折れると、つきあたりに海照山観藏院東照寺という地蔵菩薩を本尊とする寺院がありました。毎年暮れには市も立ち大変にぎわいました。しかし大正十一年に廃寺となり正藏院と合併しました。院号の観蔵院は、峯の薬師堂(東京都大田区西嶺町)に引き継がれています。

■住所
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■京浜急行
「大鳥居駅(おおとりい)西口(京急蒲田寄り出口)」下車徒歩10分(800m)。
京急蒲田駅で空港線「羽田空港」方面、一番線に乗り換え。
羽田空港駅行に乗車すると乗り換えがありません。
快特、エアポート快特は「大鳥居駅」には停車いたしません。
■京急バス
JR蒲田駅東口バス乗り場から
◇日の出通り経由 |
◇萩中経由 |
「羽田特別出張所」(行き先によってバス停の場所が違います)下車徒歩5分(400m)、所要時間JR蒲田駅から20分程度
◇変電所・六郷橋経由
「羽田車庫〔蒲73〕」行
「大師橋下〔蒲75〕」行
「大師橋下」下車山門前、JR蒲田駅から20分に1本程度、
所要時間JR蒲田駅から30分程度
■タクシー
JR蒲田駅東口から2,000円程度
■道路
◇産業道路利用の場合
東京方面から大師橋北詰の信号で側道に入る。大師橋の下をくぐって側道を東京方面に戻ると
門前にでる。
川崎方面から羽田二丁目の交差点を左折し、ついで三つ目の信号(萩中公園前)を左折、その先
T字路の信号を左折、大師橋下の手前の信号を左折すると門前に出る。
◇首都高速利用の場合
東京方面から首都高速道路一号羽田線、羽田出口(右側)で降りて右折。
横浜方面から首都高速道路神奈川一号横羽線、羽田出口(右側)で降りて左折。
その先大鳥居の交差点で川崎方面に左折し大師橋北詰の信号で側道に入る。
大師橋の下をくぐって側道を東京方面に戻ると門前にでる。
◇国道15号線利用の場合
南蒲田の交差点で環八通りを羽田空港方面に進み、
その先大鳥居の交差点で川崎方面に右折し大師橋北詰の信号で側道に入る。
大師橋の下をくぐって側道を東京方面に戻ると門前にでる。